継承されなかった吉兆・湯木貞一の「経営」

執筆者:喜文康隆2008年1月号

「身死して財残る事は、智者のせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し」(吉田兼好『徒然草』第百四十段)     *「船場吉兆」の偽装表示の刑事事件化をきっかけに、名門料亭「吉兆」が揺れている。 九州の百貨店「岩田屋」に出店していた船場吉兆による菓子類の消費期限改竄問題に端を発し、数々の偽装発覚と言い逃れが重なり、そして船場吉兆本店で「佐賀牛を但馬牛と偽っていた」という事実が発覚するに及び、ブランドは地に落ちた。吉兆グループ全体を揺るがしかねない事態であり、他の吉兆グループからは「創業者の湯木貞一の名を汚した」「吉兆の名を返上して貰いたい」といった批判が飛び交っている。 吉兆という名前は、ある時期、日本一の料亭の代名詞だった。天才料理人湯木貞一(一九〇一―九七)が一代で創り上げた料亭文化であり、料理の技と、それを供するサービスと、享受する客とが、渾然一体となった「場」の芸術だった。 それは同時に、貞一の類まれな経済感覚が生み出した経営モデルでもあった。大都市圏にしぼった店舗展開。経営者同士の口コミによる徹底した高価格・高ブランド戦略。芸妓による「宴会文化」を料理による「料亭文化」へと移行させ、日本経済の高度成長を背景に、日本企業に特有の「交際費」を企業経営者の信頼を通じてフルに引き出す仕組みを、わずか一代で築き上げた。

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