一九九八年の大統領当選以来十一回に及ぶ選挙と国民投票を勝ち抜いてきたチャベスの不敗神話は崩れた。議会、司法、選挙管理委員会、州政府を掌中に収める権力の絶頂期に国民投票にかけた改憲案は、皮肉にも僅差ながらの敗北となった。苦戦の理由は自ら制定した九九年憲法の大幅改正をこの時期に強行しようとした点に集約されるのではないか。それはかつてペルーのフジモリが九五年大統領選挙で圧勝し再選された直後に憲法解釈法で三選への整備を強行して転落への道を拓いたように、絶大な権力を握る者の不安を物語るものと言えるかもしれない。 憲法改正の狙いは、長期政権化を磐石にし、持論の「二十一世紀の社会主義」に向け制度基盤を構築することだった。いずれカストロ亡き後に中南米の反米のリーダーとなるための布石である。彼の反対派制圧は、いずれも法的手続きに則り国民の支持を背景に実現したものであり、言論弾圧と批判された二〇〇七年の反チャベス派テレビ局の閉鎖も、認可の更新をしないというぎりぎりの線で行なわれた。憲法改正を勝ち取ることは、今後の“改革”を進める際に予想される米国などの国際的介入に口実を与えないために必要であったはずだ。

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