[ウィーン発]セルビア・コソボ自治州の最終地位交渉が行き詰まり、コソボ側は一方的な独立宣言も辞さない構えを見せている。バルカン地域全体の不安定化にもつながる微妙な問題だけに、セルビア政府とコソボ自治州政府の当事者双方だけでなく、米国や欧州連合(EU)、ロシアなどの国際社会も巻き込んだぎりぎりの駆け引きが今後も続きそうだ。 コソボでは人口約二百万人のほぼ九割を占めるアルバニア系住民が独立を求める。しかし、セルビア南部のこの地は中世セルビア王国の中心でセルビア正教会の聖地でもあり、譲れない土地だ。 第二次大戦後のユーゴスラビア連邦下で、コソボはセルビア共和国内で自治権を獲得したが、民族差別などから分離を目指す動きが続いた。一九八〇年代後半に「大セルビア主義」を掲げる故ミロシェビッチ大統領が権力を掌握するとアルバニア系住民への弾圧を強め、独立要求の高まりと九〇年代後半の本格的民族紛争へとつながった。 北大西洋条約機構(NATO)軍のユーゴ空爆を経て、一九九九年から国連暫定統治下に。自治州政府に徐々に権限が委譲され、独立国家の体裁を整えてきた。 最終地位をめぐる交渉は二〇〇五年十一月にアハティサーリ国連事務総長特使の仲介で開始された。だが、独立を譲らないコソボと特別自治を主張するセルビアの対立で難航し、決裂。〇七年三月にアハティサーリ氏は事実上の独立を勧告した。

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