ゴードン・ブラウン 天国から地獄へ

執筆者:マイケル・ビンヨン2008年1月号

[ロンドン発]六月にゴードン・ブラウンがトニー・ブレアの後を継いで首相になった時、イギリス全土が安堵の息をついたようだった。イメージ作りよりも仕事に集中するまじめな政治家がやっと登場した、と。 実際、口数少なく職務に専念するブラウンに人々は好感を持った。政権発足当初、口蹄疫の再発生、洪水、ロンドンとグラスゴーでのテロ事件などの危機が起きたが、ブラウンは粛々と対応した。間近に接する公務員だけは、ブラウンを仕事中毒、あるいは何でも統制したがるスターリン主義者だと陰口を叩いたが、政権支持率はぐんぐん上昇し、十月には与党労働党は保守党を支持率で一一ポイント上回った。勢いに乗って、解散総選挙が近いとの観測も流れ始めた。 だが、ここでブラウンの失速が始まる。保守党の党大会が成功裏に終わったことで同党の支持率が上昇し、ブラウンの悪名高き警戒心が頭をもたげてきたのだ。ブラウンは総選挙は行なわないと発表。しかも、その決断は政治的「ビジョン」によるものであり、世論調査とは何の関係もないと付け加えたために、致命傷を負ってしまった。そんな言葉を信用する者はいなかったからだ。 この瞬間、ブラウンにとって全ての歯車が狂いはじめた。議会での答弁は冴えず、支持率は下落。追い打ちをかけるようにスキャンダルや政治危機が次々と政権を襲い、有能で信頼に足る男というブラウンのイメージは急速に萎びていった。この二つの資質は、首相のメディア顧問(ブラウンが情報操作をしないと約束しても、依然として彼らの動きは活発だ)たちが、ブレアとの最大の違いとして強調してきた側面だった。

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