英語ペラペラになって何を喋るの?

執筆者:徳岡孝夫2008年1月号

 ダラスの凶弾に斃れたジョン・F・ケネディが、生きてホワイトハウスに住んでいた頃の話。彼の死を悼んでケネディ国際空港と改称されたニューヨーク最大の飛行場は、アイドルワイルド空港と呼ばれていた。 サンフランシスコからの旅客機の座席でぐっすり眠り、スッチーのお姉さんに「もう着いてるわ」と肩を叩かれて目覚めた私は、寝呆けていたのか、空港内に両替所があったかどうか記憶にない。当座の旅費と小遣いは、ハワイ大学で五週間の準備教育中にフルブライト委員会からドルで貰っていた。 一ドル=三百六十円である。日本は高度成長も所得倍増も始まっていず、東京→ニューヨークの片道旅費が私の新聞記者の年収まるごと使っても足りないほどだった。「全額給費」だからこそ行けた米国留学である。 あの広いニューヨークに、黙って円を出せば黙ってドルに替えてくれる窓口が、私の知るかぎり一カ所だけあった。それはロックフェラーセンターの下で地下鉄を降り、地上に出る広い階段の踊り場に面していた。そこに立って両替中の我がニッポン紳士を見たことがある。 彼はズボンの前ボタンを外し、ワイシャツをたくし上げ、腹巻から円の札束をつかみ出していた。アメリカ人が戸外で、まず絶対にしない行為である。階段を昇降する米人女性はみな顔を背け、見ないフリして足早に通り過ぎていた。一万円札はまだあまりない時代。紳士は札束をカウンター上に置き、「オール・ワンダラーね」と言った。これが何を意味するか、四十七年後の読者はお判りだろうか?

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