欧州で誇らしい「日本の色」

執筆者:大野ゆり子2008年2月号

 あるとき、日本文学を専攻したフランス女性と話すことがあった。どうして日本に興味を持ったのか尋ねると、「こんなに色彩の表現が豊かな言語は、ほかにないと思ったから」と言う。 西洋では、緑は緑。黄と青が物理的に混ざったもの。青みがかったものまで、緑という言葉の守備範囲に入れてしまう。それに比べて、日本は若草色、萌黄色、深緑……と実にいろいろな表現があるというのだ。赤やピンクにしても、西洋の感覚にはない、色の奥にふと広がる表情や景色があるのだという。 たとえば薄紅といっただけで、はらはらと散る桜の淡い色が、茜色といえば、闇に沈みながらもまだ燃える空の色、これが朱といえば、堂々とした大鳥居が浮かんでくる。「明晰でなければフランス語ではない」という名句があるそうだが、それとは対極にある、言葉の奥から、そこはかとなく滲み出るもの、それに惹かれて日本文学を選んだそうだ。 日本語も古代には、色そのものを指す語はなく、赤、黒、白、青は、形容詞の「明かし、暗し、顕し、漠し」という、光の明暗や濃淡を示す表現に由来していると読んだことがある。 その時代から、「色香」というような言葉が生まれるまでには、どんな変遷があったのだろうか。「色香」は和英辞典を引くと「charm」、和仏辞典でも「charmes」としか出てこない。チャーミングと同じ語源の言葉だが、これだと、あまりに陽気過ぎて、日本語の「色香」のような、そこはかとなく漂う官能の美しさが、抜ける気がする。

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