5月3日、アゼルバイジャンの首都バクーで開かれたADB(アジア開発銀行)のセミナーで、麻生太郎財務大臣は日米が最大の出資国であるADBへの出資比率を高め、「品質の高さ」と「信頼性」を強力に打ち出しました。AIIBに対する牽制でしょう。麻生大臣の発言が3月中旬における英国のAIIB参加表明以前であったなら、中国当局に対する牽制として一定の効果はあったと思われます。だが、現段階でのADBに対するテコ入れ策は、戦争において最も避けるべきとされる「兵力の逐次投入」の感を免れません。やはり日本はADBを経由してAIIB、つまりは北京との間でチキン・レースを展開する必要はなく、費用対効果を考えた時、ADBの将来像を再構築しないままに闇雲に日本からの拠出金を積み増すことは避けるべきだといわざるをえません。

 

戦後日本の“蹉跌”

 振り返れば日本が中国大陸に本格的に関わるようになった日清戦争から70年前の敗戦まで、蔣介石であれ毛沢東であれ、中国側の背後にルーズベルト米大統領やコミンテルンの巧妙な策謀が働いたことを認めたとしても、日本が進めた一連の「大陸政策」は最終的には失敗に終わったわけです。やはり小室信介ならずとも、「支那ノ事ハ日本人ノ腦裏ノ權衡ニテハ決テ秤量スルベカラザルモノト知ル可シ」と呟きたくもなります(「明治人の『中国紀行』に学ぶ(上)『習近平』の世界政策」2015年6月1日を参照)。

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