学者とデモ隊の正義

執筆者:徳岡孝夫2015年8月6日

 いきなり貧乏臭い話で恐縮だが、新聞記者を32年、自営の記者になって31年、私は「赤坂の店」に知り合いが1軒もない。銀座についても同様である。
 呑まないわけではないが、呑むときは自分の器量の内で呑む。だから政治部記者に連れて行かれたこの晩のことは、鮮明に憶えている。

 折から私は、ある小さい政治的スキャンダルを追っていた。細部は蒸し返すに及ばない。とにかく当時の衆議院議長が地元の高利貸しからヤミ献金を取っていた。週刊誌記者だった私は、それを取材し、政治部へ行って自民党担当の某君(故人)が仕事先から帰社するのを待ち、青臭い議論を吹っかけた。
 黙って聴いていた彼は「徳さん、ちょっと出まひょ。まだ時間おまっしゃろ」と大阪弁で誘った。われわれは地下の車両部へ降り、そこから車で「赤坂の店」へ行った。

 降りるとき、彼は運転手に場所を言い、そこで「待っててくれ」と言い残した。私はびっくりした。車を待たせておいて酒を呑むなんて初体験だったから、今でも部屋の情景まで思い出せる。真ん中に囲炉裏(いろり)を切った小部屋だった。
 私は熱をこめて議長の許すべからざる不正を語った。彼は徳利を取って酒を注ぎながら、ふと思いついたように言った。
「我が社の地下に地下鉄の駅があるのん、誰のおかげや思てはります?」
 私は沈黙して彼の顔を見た。彼は顔色も変えず、私の酒器に酒を足していた。私のネタは週刊誌の記事にはなったが、刃先が少し欠けていた。

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