一月下旬、インドネシアのスハルト元大統領が亡くなった。実質三十二年に及んだ独裁時代、スハルト一族・郎党に寄り添うことで巨大ビジネスを築いた林紹良(スドノ・サリム)や鄭建盛(ボブ・ハサン)は過去の人。一時は「スハルト家の財布」とまでいわれた彭雲鵬(プラヨゴ・パンゲストゥ/一九四四年生)は、石油化学事業に再起を賭けるとみられている。 スハルト政権と不即不離の関係を保つことで九七年アジア通貨危機と翌年の政権崩壊による損害を抑え、華人企業トップを走るのが、インドネシア独特の丁字タバコ(ガラム)製造を軸とする塩倉(グダン・ガラム)集団を率いる蔡道行(ラフマン・ハリム/四七年生)。そして、紙・パルプから金融・不動産まで扱う金光(シナル・マス)集団の黄(ウィジャヤ)一族だ。 黄一族の後継者として集団全体を統括する黄志源(トゥグー・ガンダ/四四年生)は北京大学卒。実弟で九〇年代前半に二百社ほどの中国国営企業を買収した黄鵬年(ウィ・ホンレオン/四八年生)もまた文化大革命期を中国で経験。対中関係の進展次第では、黄一族が中国人脈をフル稼働させ中国ビジネスを積極展開するだろう。 中国ビジネスでは、老世代ながら八〇年代後半から故郷の福建省を中心に不動産、石化、物流を手がける林文鏡(ジュハル・スタント/二八年生)が代表格。彼が中国市場に基盤を築きえた最大の要因は、インドネシア国内政治とは一定の距離を置いていたからだとみられる。

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