三島由紀夫の45年×2

執筆者:徳岡孝夫2015年11月4日

 この島国に生きる人は、みな、同じだろう。炎熱の夏が去って久しぶりに清涼の庭に出て、皓々たる月を仰ぐ。ごく自然に古い詩が口をついて出る。
「三五夜中、新月ノ色 二千里外、故人ノ心」
 漢詩文は不思議な言葉である。どこの国の言葉でもないのに、それは人を鼓舞し、四季を謡い、人を誘って永遠の淵を覗かせる。世界に類似の言葉があるかと問われれば、挙げられるのはラテン語のみだろう。
 白楽天は月を詠んで文集(もんじゅう)に納め、清少納言は感じて草子に書き、現代人に伝えている。

 私は香港で大陸から溢れ出た文化大革命の取材中にバンコク特派員の辞令を受け、いったん帰国し旅仕度してから赴任した。1967年8月のこと。
 出発前に我が書棚の前に立ち、何を持っていこうかと考えた。そして英人記者の中にも、アフリカ取材に行くのにジョン・ミルトンのラテン詩集を持っていくヤツがいるはずだと思い、岩波・大系本の中から『和漢朗詠集 梁塵秘抄』を取って函から抜き、裸の本をスーツケースに放り込んだ。
 平安時代の詞華集anthologyである。行き届いた補遺が付いていて、本文に引かれた原典を示している。例えば白楽天の「長恨歌」は、補遺に全文が載っている。何か役立つことがあるかもしれない。

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