創業と守成 去った二人の大統領

執筆者:徳岡孝夫2008年3月号

 パリで、他でもないデヴィ夫人が語るのを聞いた話である。 正確な日時のことは、聞いたであろうが忘れた。とにかく一九六三、四年頃の某日のことである。デヴィさんはバリへ行くため、東ジャワのスラバヤ空港だか空軍基地だかで、飛行機が来るのを待っていた。建物の外に椅子を出し、そこに座って待った。少数の随員がいた。待つ機影は、なかなか見えない。 飛行場は広い。はるか遠くに人の姿が見えた。近付くにつれ、三人であることが分った。ますます近付いてくる。三人が横一列になり、軍人らしく三人とも手を横に振りながら、姿勢正しく歩いてくる。デヴィさんは、無言で見ていた。 ザックザックザック。三人はデヴィさんの前を右から左へ通り過ぎ、終始無言で姿勢も歩調も変えず、反対側へ去っていった。階級章から、かなり高位の軍人らしかった。軍服に軍帽。息を呑む威風堂々。テラスのデヴィさんは一言も発しなかった。というより、発することができなかった。気圧されて金縛りになったのである。 とくに三人の将軍の真ん中の人は、言葉では巧く言えない、辺りを払う威厳があった。神韻縹渺と言おうか、人を黙らせる何物かを発散していた。 ジャカルタに帰ってから、彼女はそのときの驚きを夫のスカルノ大統領に告げた。「インドネシアにあんな凄い男がいるなんて知りませんでした」と話した。スカルノは「そうか」と頷いて、すぐその日その時刻にスラバヤ飛行場を歩いた三人の名を調べさせた。報告は、すぐ戻ってきた。三人の真ん中は、当時まだ部外には無名の戦略予備軍司令官スハルトだった。スカルノもデヴィ夫人もそのときは知らなかったが、国父スカルノを継いで第二代インドネシア大統領になった男である。

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