パリ同時テロ:「治安体制の見直し」も浮上か

執筆者:渡邊啓貴2015年11月14日

 パリで同時テロが起こった。オランド大統領が観戦していた仏独戦の国立サッカー競技場のそばのカフェでの爆弾テロ。アメリカ人ロックグループの演奏会場では人質をとって立てこもった犯人4人が射殺されたが、80人の犠牲者がでた。全部で6カ所で銃撃戦や爆発があったと伝えられる。少なくとも120人の死者と200人のけが人が出た。
 オランド大統領はただちに声明を発表し、「恐怖だ。テロリストたちの望むことは、私たちを脅し、私たちを恐怖の虜にすることだ」とテロリストの脅威を指摘しながら、「フランスは恐怖に対して、自衛し、力を動員し、テロリストたちを説き伏せることができる国だ」と断固とした決意を語った。同時にフランス全土に非常事態宣言を発令し、国境の閉鎖を指示した。

「シャルリー・エブド事件」との相違点

 今の段階で詳しい犯人像は分からないが、劇場で人質をとった犯人たちが「アラーは偉大なり」と語り、フランスのシリア空爆について語っていたという証言から、「イスラム国」(IS)につながるイスラム過激派であるといわれている(その後、オランド大統領は、事件はISの犯行との見方を示し、ISは犯行声明を出した)。イスラム教徒によるテロという点では今年1月に勃発した「シャルリー・エブド」社襲撃事件との類似性や関連性も推測されるが、そのことも含めていくつかの論点があるように思う。
 シャルリー・エブド事件は基本的には社会統合(フランスは伝統的に同化政策の国であるが、近年は多文化主義の波の中で多様性の容認に傾斜している)に適応できない移民第2世代たちが、いわゆる「ホーム・グロウン(地元出身の)テロリスト」となって、イスラムを侮蔑するマスメディアに対する反発から起こったテロであった。文化摩擦と社会統合とが重なった中で、「言論の自由」が問題となった。
 だが、今回狙われたのは、新聞社ではなく、一般市民が多数集まり、大統領が臨席したサッカー競技場周辺のカフェと劇場であった。無差別テロの色合いが強いのではないか。またその規模も大きく組織性も高い。シャルリー・エブド事件よりも事態はさらに複雑である。
 シャルリー・エブド事件の大きな背景となったのは移民第2・第3世代の社会統合の失敗であった。名前だけで「フランス人」「ヨーロッパ人」でないことが明らかなので、就職の面接もできない。宗教的慣習からフランス社会に溶け込めない。1995年にリヨン郊外でアルジェリア系第2世代のケルカルという青年が武装グループによる一連の殺害テロの容疑をかけられ、逃走中に銃撃戦で射殺された。これが、イスラム教徒との文化摩擦を基礎として社会問題と結びついた、フランスで最初のテロだといわれる。本来政治的犯罪であるテロが社会問題の文脈で論じられた最初の事件だった。フランス語を使うイスラム系によるテロという意味では、今回もこうしたフランス社会に根を張った異文化統合という克服しがたい大きな課題が背景にある(2015年1月14日「『パリ連続テロ』で浮かび上がった『価値観』の対立」2012年4月3日「テロ事件の顛末と仏大統領選への影響」参照)。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。