いわゆる「慰安婦問題」をめぐる日韓合意の本質は、米国東アジア戦略の「ミッシングリンク」の回復である。日韓2国間関係の文脈だけでこの問題を考察しても、全体像はまるで見えない。オランダ・ハーグで日米韓首脳会談(2014年3月)を主催するなど、日韓関係修復を強力に後押ししてきた米国が、今次「慰安婦問題」合意の陰の主役であることは論を俟たないだろう。
 アジア最大の同盟国日本と北朝鮮抑止の要である韓国がいがみ合っている状況は、中国北朝鮮を利するだけである。そこで障害となっていた歴史認識問題、とりわけいわゆる慰安婦問題について両国が折り合える点を見つけ出して、南シナ海問題で緊迫する東アジア情勢を安定させたいという米国の思惑が働いた。合意直後にケリー国務長官とライス大統領補佐官が合意を歓迎する声明を出したところに、米国の安堵の色が滲み出ている。オバマ大統領は、日米韓首脳会談の今春再主催を検討し、日韓関係修復の基調を「不可逆的」なものにしたい考えだ。

対日歴史戦からの「戦線離脱」

 これに対して、日韓合意を苦々しい思いで見つめているのが中国である。中韓関係の文脈では、韓国が対日歴史戦争から「戦線離脱」したことを意味する。中国が韓国を抱き込んで進めてきた歴史認識に関する対日外交戦争から、韓国が「足抜け」したということだ。
 これまで、伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根の記念館(ハルビン)開設(2014年1月)、朴槿恵大統領の「大韓民国臨時政府」庁舎(上海)改装記念行事出席(2015年9月)など、中国が韓国に歩調を合わせる形で歴史戦における対日共闘を進めていた。また、最大貿易相手国として韓国経済の生殺与奪の権を握る中国は、米国の同盟国であるはずの韓国に対して、「離米従中」をことあるごとに迫ってきた。2015年は、韓国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)参加表明(3月)、朴槿恵大統領の抗日戦争勝利記念軍事パレード参加(9月)と節目節目で、米国の制止を振り切らせて、踏み絵を踏ませ続けることに成功した。
今回の合意は、米中の韓国争奪戦における中国の久しぶりの敗北である。中国政府の考えを窺い知れる材料としては例えば、国営中国中央テレビ(CCTV)の国際問題討論番組「環球視線」が挙げられる。同番組は即日、日韓合意の東アジア情勢への影響について取り上げた。その中で出演者の1人は、安倍晋三総理がイスラエル訪問(2015年1月)の際に、「アウシュビッツのような悲劇を2度と繰り返させない」と表明したのに対して、韓国メディアがそれを批判していたと指摘している(例えば「日本の侵略戦争(ママ)によって直接犠牲になった隣国の国民を追悼する場所を訪れるつもりはなく、日本とは関連のないユダヤ人犠牲者を追悼する場所だけを訪れている」といった批判)。さらに、歴史認識に大きな隔たりがある中で合意に達したのは、米国からの圧力があったからだと分析し、これは婉曲的に、韓国の「裏切り」への静かなる苛立ちを伝えているのだと思われる。

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