猪木正道京都大学教授は1970年7月、防衛大学校長に任命された。この人事に驚かなかった世人は少ないだろう。初代の防大学校長(正確には保安大学校長)には当時の吉田茂首相の懇請を容れて、槇智雄慶応大学教授が就任したものの、世間ではまだ自衛隊アレルギーが強く、アカデミズムの世界に後継学校長人材を求めることは無理だと考えられていた。その証拠に2代目学校長に選ばれたのは、戦前に内務官僚として役人の道を歩んだ大森寛氏である。尤も氏は極めて有能な人物であり、後年、大森氏が防大を訪問し、当時の幹部と懇談した際、図書館長として同席した私はその能吏ぶりに強い印象を受けた。

 次の防大学校長人事は難航をきわめる。再び官僚の起用となると、防大を「学問の府」としたい防衛庁(現・防衛省)にとっては望ましくない。 誰か適任の学者はいないか?

 ときの防衛庁長官(現・防衛大臣)はタカ派の評判が高かった中曽根康弘氏である。ところが中曽根氏は直ちに猪木氏に白羽の矢を立てた。ただ、両氏の肌合いは違う。猪木氏は「首相公選論」を唱える中曽根氏の主張にかねてから批判的であった。しかし、「三顧の礼」を尽くしての防大学校長就任要請には折れるほかなかった。その間の事情は猪木正道氏の『私の二十世紀』(世界思想社刊、318~323ページ)に詳しい。

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