いつものように、今年3月のワシントン取材も、デュポンサークルのクラブに投宿した。そこは便利で動きやすく、雰囲気がいい。
 いつもと違う気分になったのは、近くの別のホテルで昨年11月、ある奇妙な事件が起きていたことを知ったからだった。
「デュポンサークル・ホテル」。決してファンシーではない4つ星のホテル。特派員時代、ここで開かれたシンポジウムを傍聴したことも何回かあった。「日米半導体合意」の密約文書がほしい、と元米政府高官に頼むとこのホテルに来いと指示され、文書を持つ米紙記者を紹介されたこともあった。米政府機関が招待客を泊める宿としてもよく使われる、と聞いた。
 だが、ここでプーチン・ロシア大統領の元側近の男が不審死していたというのだ。なぜ元側近をこんなところで殺(あや)めたのだろうか。
 そして、ロシア情報機関の犯罪、との証拠が確認されれば、「米ロ冷戦」は深刻な段階を迎えるのではないか。

よたよた歩いてホテルの部屋に

 3月10日、ワシントンの検視官事務所が警察当局と合同で、解剖所見を発表した。頭部のほか、首や胴体、腕、脚に鈍器で打撲傷を受けていたというのだ。だが、事故で転んでできた傷なのか、交通事故なのか、あるいは犯罪なのか、原因は明らかにされなかった。
 奇妙なのはそれだけではない。解剖結果の発表が11月5日の死亡から4カ月以上も経っていたのは極めておかしかった。今もその理由は不明だ。
 死亡したのはミハイル・レシン氏(享年57)。そもそも、ビバリーヒルズなどに合計約3000万ドル(約32億円)の豪邸5軒を所有する超リッチな男にしては、人生の最後に泊まったホテルはふさわしくなかった。
 米メディアによると、彼はウィルソン・センターが主催して別のホテルで開いた11月3日夜の寄付金集めのディナー・パーティーに出席するためワシントンに来ていた。しかしその夜、ロシア人の友人が電話しても返事がなく、パーティーには姿を見せなかった。
 ニューヨーク・タイムズによれば、彼は2日夜友人らと痛飲、3日午前にもまだ酒屋で酒を買い求めるなどひどく酔っ払っていた。4日夜には、事故あるいはけんかのせいか、よたよた歩きで、ホテルに戻ってきた。ガードマンが彼をベッドに寝かせようとしたが、抵抗されたという。翌朝、掃除婦が部屋に入って彼の死体を発見した。他殺であったとしても、証拠はない、という状況のようだ。

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