世界各国の首脳や富豪がタックスヘイブン(租税回避地)の法人に関与する実態を暴露した「パナマ文書」について、沈黙を決め込む中国と対照的に、ロシアの過剰反応が目立っている。プーチン大統領は説得力のない説明をし、報道官は火消しに追われた。ちぐはぐな対応は逆に疑惑を高めており、政権の危機管理能力低下を印象付けた。

謎のロルドゥーギン氏

「パナマ文書」には今のところ、ロシアの政治家や財界人13人が登場するが、文書で最高額となる20億ドルを取引し、複数の会社の所有者に名を連ねていた音楽家のセルゲイ・ロルドゥーギン氏は、プーチン大統領と関係の深い謎の人物だ。ロシア人記者が2000年にプーチン大統領や友人・親族らの証言を集めて執筆した『プーチン、自らを語る』(扶桑社)で、同氏は大統領との関係を明かしており、プーチン氏の知られざるエピソードが興味深い。
「プーチンは私の兄の大学同級生で、彼が家に来て、仲良くなり、実の兄弟のような間柄になった。彼の家に遊びに行き、飲み食いしては泊まった」
「プーチンはソ連国家保安委員会(KGB)に入ることをすぐ私に話してくれた。他の人には警察で働くと言っていた」
「2人でバスの停留所にいた時、酔った数人の若者がからんできた。1人がプーチンをこづいたとき、プーチンはあっという間に若者を投げ飛ばした。プーチンが少し動いただけで、若者が空中に舞ったのだ。なんといっても、彼は76年のレニングラード柔道王者なのだ。プーチンは『さて、行こうか』と穏やかに言った。かっこよかった」
「私は音楽学校を卒業してムラビンスキーの楽団に席を得た。演奏で日本などを訪れた。私は彼よりカネをもらっていたので、旅行のおみやげにTシャツなどをあげた」
「プーチンが出張でモスクワに行った時、腕を骨折したことがあった。地下鉄でごろつきにからまれて殴った時に折ったという。『KGB本部は事情を分かってくれないだろう。まずい結果になるかもしれない』とうろたえていた。しかし、うまくおさまった」
「(90年に旧東独が消滅してプーチンが帰国した後)彼はとても混乱し、『こんなことが起きていいのか』と狼狽した。彼は仕事に幻滅し、『KGBを辞めるつもりだ』と言った」
「サンクトペテルブルク市長のもとで働くようになって、会う機会も少なくなった。彼は朝早くから夜遅くまで全霊で働いていたのだ。運転手と一緒に私の別荘に来たとき、ベッドに案内すると、ベッドの下に空気銃を置いた。『こうしておくと、少しは気が落ち着くんだ』と言った」

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