1992年、夫が大統領選初チャレンジで当選する直前のクリントン夫妻。この頃すでにチャイナ・コネクションにどっぷり浸かっていた(C)AFP=時事

 

 クリントン夫妻と李文正・李白父子の出会いは1981年のアーカンソー州リトルロックだが、次の舞台は1990年代初頭の福建省莆田県の海上に浮かぶ湄洲島に移る。

 1980年代末、台湾政府は政府高官や軍幹部を除く一般人の大陸への「探親旅行」を解禁した。「探親」は里帰りを意味するが、ことに本省人と呼ばれる台湾の人々の大半の祖先は閩南と呼ばれる福建省南部から明代以降に移住してきた。つまり本省人の先祖の墓の多くは福建南部に在る。「探親旅行」の解禁とは、本省人に先祖の墓参りを認めると同時に、大陸の親類縁者との往来を許すことを意味するわけだ。

 ここで湄洲島が登場する。じつは湄洲島には、10世紀に福建南部沿岸で起こった海の安全を守る媽祖信仰の総本山である天妃廟が置かれている。10世紀以降、福建南部から中国各地、さらには東南アジア各地への移住者の多くは媽祖信仰の信徒だった。なかでも最も熱心なのが台湾に移っていった人々(つまり本省人)であり、彼らは天妃廟詣でを欠かすことはなかった。だが中華人民共和国が成立し、台湾海峡の往来が途絶えると同時に、台湾の媽祖信徒による天妃廟詣は不可能となる。それが1978年末に中国が対外開放に踏み切り、10年遅れながら台湾からの「探親旅行」が解禁されるや、台湾の媽祖信徒は堰を切ったように天妃廟詣でに馳せ参ずることとなる。ヒトが集まればカネが落ち、ビジネスチャンスが生まれた。

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