アイデアが浮かんだら実行する

執筆者:成毛眞2016年11月10日

 学生の頃、音楽をやっている友人がいた。彼の口癖は「人は死んだら名が残らない」。確かにその通りだろう。よほど有名人でない限り、曾孫の代にもなると、その名は忘れられる人がほとんどだ。それは悲劇ではなく当然のこと。その当然のことが認められず何が何でも名を残したければ、残すために何かをしなくてはならない。
 彼の口癖はもうひとつあった。「芸術家なら名が残る」。これもまた確かにそうだ。音楽をやっていたのはそれも理由だったのだろう。
 その頃、喫茶店にゲーム機が置かれるようになった。インベーダーブームの到来である。私は彼に、名を残したければ、今登場したばかりのジャンル、ゲーム音楽に取り組むべきだと進言した。しかし彼は何らかの理由でそれはやらなかった。フジテレビを退社したすぎやまこういち氏がドラゴンクエストなどのゲーム音楽を担当し、その世界の第一人者として有名になるのは少し後のこと。友人は、親が経営していた保険の代理店を継いだ。
 ところで、マイクロソフトを辞めた2000年頃、上野の西あたりで土地を探していたことがある。アパートをいくつか持って学生に貸すことを考えていたのだ。
 場所を上野の西にしたのは東京藝大があるからだ。藝大の学生は、絵を描いたり彫刻をしたり、あるいは楽器を演奏したりと創作活動をする。すると、部屋は汚れるし音が漏れる。それを嫌う大家は少なくないだろう。そこで私はこんなアパートを持つことを考えた。
 十分に防音対策を施した地下には、グランドピアノを置き、そのアパートの住人は自由に使っていいものとする。もちろん、ほかの楽器を演奏しても構わない。天窓のついた最上階はアトリエとし、やはり住人に開放する。どんなに汚しても構わない。
 防音室とアトリエの間のフロアは居室で、作家や漫画家も含めた芸術家志望の学生に貸し出す。家賃は相場の半分で良い。その代わり、そこで創作したものは、アパートを出るときに置いていってもらう。
 そういったアパートを4、5棟持ち、その中心地には各アパートの住人が集まって、食事など交流できる場も設ける。家賃が半額である以上に、そのサロンに魅力を感じて入居を希望する人はそれなりにいるだろうと踏んでいた。そして実際にその場に多くの芸術家の卵が集えば、メディアに取り上げられてますます人が集まることもわかっていた。
 かなり本気になって物件探しをしていたのだが、手ごろな土地と建物を得ることができなかった。
 そうこうしているうちに、私の関心は薄れ、すっかり忘れた頃にシェアハウスという、個室と交流スペースのある住居があちこちでうまれた。仕方がなかったこととは言え、あのとき物件さえ見つかっていればと悔やまれることしきりなのである。

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