高齢化社会、出生率低下で、近い将来、日本は世界が経験したことのない「破滅的人口減少」に見舞われる……(C)時事

 

 昔、英国のアフリカ史研究の本流を学んだ吉國恒雄という研究者がいて、1999年に講談社現代新書から『グレートジンバブウェ』という本を出した(2006年に亡くなった吉國さんについてはフォーサイトでもいずれ書いてみたいと思っている)。この本の副題が「東南アフリカの歴史世界」というのだが、この副題にまず日本の研究者は驚いた。学界でも一般にも「東南アフリカ」という地域分けはなかったからだ。

 通常、植民地時代の行政区分けからくる「東アフリカ」と「南部アフリカ」(南アフリカ共和国と混同しないため「南部」と表する。英語ではSouthern Africa)を使う。東アフリカとは、その昔英領東アフリカ高等弁務官が管轄していた地域で、3植民地からなり、1960年代初頭にはそれぞれケニア、タンザニア、ウガンダとして独立した。

 一方南部アフリカは、アパルトヘイト型人種差別体制とポルトガル軍事政権の支配下におかれていたため独立が遅れ、かつては“白いアフリカ”とも呼ばれていた。つまり、東アフリカと南部アフリカは明らかに異なる空間であった。それでも、両者を併せて表記する必要のあるときは「東南部アフリカ」と称する。

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