『バブル 日本迷走の原点』永野健二著/新潮社

 昭和末期に日本が経験したバブル時代からほぼ30年が経ち、改めてその時代への関心が高まっている。特に昨年相次いで刊行された國重惇史『住友銀行秘史』(講談社)と、日本経済新聞記者として当時を深く取材した著者による本書はバブル期の生々しい実態を伝える貴重な証言である。
 本書はバブルの歴史を胎動、膨張、狂乱、清算の4期に分けて、それぞれの時代に活動ないし暗躍した人物に焦点を当てることで、その時代の側面を映し出す手法になっている。そこで披露されるエピソードは経済記者であった著者の真骨頂であり、渾身の筆致で描かれる知られざる裏話は臨場感にあふれている。たとえばこの時代を象徴する人物の1人、大阪の謎めいた相場師・尾上縫に日本興業銀行が貸し込んだことは周知だが、尾上の破産管財人となった弁護士の滝井繁雄が訴訟で興銀などの貸付の不当性を示し、一定額を回収して弁済に充てた話(後に滝井は最高裁判事としてグレーゾーン金利規制判決を行った)は、問題の本質が尾上ではなく当時の金融機関の無軌道ぶりにあったことを印象づける。

「渋沢資本主義」という着眼

 しかし評者にとって最も刺激的であったのは、分析の視角を示した「はじめに」の部分とバブル発生のはるか以前、1970年代から80年代初頭を扱った胎動期の記述であった。「はじめに」において著者は明治以来の日本の資本主義思想には、西洋モデルを忠実に受容しようというグローバルスタンダード路線、独占を志向する財閥路線に対して、西洋資本主義を受容しながらも日本的なやり方でその強欲さを抑制しようとした渋沢栄一に代表される渋沢資本主義が存在したとする。そして戦後日本は、興銀に代表される長期金融、大蔵省、新日本製鐵が主役となる昭和型の渋沢資本主義を実現した。
 しかし1970年代に入り、変動相場制への移行や金融規制緩和により、金融が主導するグローバリゼーションの時代が訪れる。1970年代の日本の政治経済エリートの中には新たな時代の訪れを感じて戦後型渋沢資本主義の変革を図り始めた先覚者や制度の歪みを利用した利口者が存在した。「胎動」期には、船舶業界に風穴を開けようとした政治家河本敏夫が率いる三光汽船、閉鎖的な株式市場を利用した仕手株戦を仕掛けた加藤暠、米モルガン銀行と組んで信託会社設立を企てた野村證券の田淵節也社長、日本に資本市場を定着させようとした大蔵省の佐藤徹証券局長などの挫折の姿が後のバブルにつながる旧秩序の退嬰ぶりを印象づける。
 ただ敢えて指摘すれば「渋沢資本主義」という秀逸な着眼がバブル期以降の記述ではあまり生きていないように感じる。スーザン・ストレンジの「カジノ資本主義」の詳細な紹介が示すように、筆者自身、金融グローバリゼーションの危うさを強く意識している。当時の日本は時代おくれになりつつあった戦後型渋沢資本主義からの脱却と、アメリカが主導したカジノ資本主義の抑制的な受容という二重の課題に直面していたのであろう。本書に描かれた様々な登場人物の苦闘にもかかわらず、昭和末期の日本はこの時代の渋沢栄一を生み出せなかった。

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