居久根の除染実験で林床の土をはぎ取る菅野啓一さん(筆者撮影、以下同)

 東京電力福島第1原発事故を引き起こした東日本大震災から、11日で丸6年。全住民が避難中の福島県飯舘村では、近隣の被災地自治体と同様に今月末、政府が「除染の完了」を理由に避難指示を解除する。だが、住民は「除染は終わっていない」と訴える。「居久根(いぐね)」の名をご存じだろうか。東北の農山村で民家の裏手に代々育てられた屋敷林だ。家の建て替えにも使われる財産だが、福島第1原発事故の被災地、飯舘村では居久根が放射性物質に汚染され、今も高線量のままだ。環境省の除染が、居久根では表面の清掃程度で終わり、放射性物質を付けた枯れ葉の腐植土が放置されているためだ。そんな中、独自の居久根の除染実験に取り組み、劇的な成果を上げた農家がいる。彼は「国がもう頼みにならないなら、帰還する者が安全に生きられる環境を自ら取り戻すほかない」と決意している。

高いままの放射線量

天明の飢饉の無縁仏と。後ろが自宅と居久根

 標高約600メートル。阿武隈山中の飯舘村で最も標高が高い比曽地区は2月初め、凍り付くような雪景色の中にあった。「これは大切にしているものだ」と、菅野啓一さん(62)は雪の上に顔を出した20基ほどの黒い石をなでた。古い文字が刻んであり、天明の飢饉(1780年代)の無縁仏だという。比曽は昔、長泥、蕨平(わらびだいら)の両地区とともに約100戸の旧比曽村をなしたが、過酷な飢饉の結果、生き延びたのが3戸だったと伝わる。荒廃した比曽を受け継いで再び開拓した農家の1人が菅野さんの先祖だ。
 菅野さんの手には高精度の放射線測定器(日立アロカメディカル製)がある。避難中に独学で第3種放射線取扱主任者の国家資格を取った。「雪の上は放射線が遮蔽されるが、ここで空間線量が『0.7』(マイクロシーベルト毎時・以下同)もある。まわりの家々の居久根から飛んできているんだ」。福島市内の避難先のアパートから比曽の高台にある自宅に通い、帰還の準備をしながら放射線量の変化をチェックしている。
 菅野さんは自宅の裏に広がる杉の居久根に足を踏み入れた。祖父が植えたという樹齢約100年の老木や、高さ30メートルもの大木の杉がびっしりと並んでそびえる。「このあたりは線量が高いままだ」と言い、放射線測定器は約1メートルの高さで「2.5」を表示した。林床(りんしょう)の雪のない部分には、2011年3月の福島第1原発事故から6年分の枯れ葉が積もっている。その地面まで測定器を下げると、線量は「4.9」に跳ね上がった。
 どの程度の数値が安全かの基準はないが、1つの数値としてあるのは、国際放射線防護委員会(ICRP)基準(年間1ミリシーベルト・平時の一般人の追加被曝線量)から導き出された「0.23」。菅野さんは自宅の真裏に当たる居久根の別の一角に移り、1メートルの高さで測定をすると「0.25」。それまでの測定場所と極端に違う数値を示した。「ここで自前の除染実験をした。居久根でも線量を下げる除染方法がある。なぜ、国はやろうとしないのか?」 

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