3月6日、弾道ミサイルの発射を見守る金正恩朝鮮労働党委員長(左)[朝鮮労働党機関紙・労働新聞電子版より] (c)時事

 ここで米朝関係のこれまでの流れについて、簡単に振り返っておこう。

緊張と緩和を繰り返した米朝関係

 アメリカ政府は1979年以来、同国の法律に基づいて「テロ支援国家」を指定し、その国家に対しては輸出入規制などの経済制裁を課している。北朝鮮が指定されたのは1988年。83年のラングーン爆破テロや、87年の大韓航空機爆破事件がきっかけだった。

 北朝鮮は1985年に核拡散防止条約(NPT)に加盟したのだが、その裏でひそかに核兵器の開発に着手していた。1994年5月には黒鉛減速炉からの核燃料棒抜き取りに着手、これにアメリカは激怒し、クリントン大統領は北朝鮮の核関連施設に限定空爆を行う覚悟を固めたが、6月にカーター元大統領を訪朝させ、金日成(キム・イルソン)主席との会談で事態は一転鎮静化に向かい、10月には米朝枠組み合意が成立して最大の危機は回避された。

 もっともその後、金正日(キム・ジョンイル)総書記時代になると核開発を再開する。1998年には、発射したテポドンが日本上空を通過。さらに9.11以後の世界的な混乱の中、高濃縮ウラン計画を推し進め、2002年にはIAEA(国際原子力機関)の査察官を国外に退去させ、翌年にはNPTからも脱退してしまった。

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