昨年5月9日、モスクワの「赤の広場」で行われた旧ソ連の対ドイツ戦勝71年記念軍事パレードで行進するロシア軍将兵。第2次世界大戦での勝利は、ロシア国民にとって数少ない歴史的誇りだ (C)時事

 

 今年はロシア革命から100年という記念すべき年だ。サンクトペテルブルグでの革命は世界を揺るがし、日本でも、帝政ロシアが持つ対外膨張圧力に起因する恐露感情に、世界革命の震源地という赤色革命への恐怖が重なり、異常な軍事反応を引き起こした。いわゆるシベリア出兵である。革命後は、赤軍(ボルシェビキ)とこれに対抗して旧秩序の回復を唱える反革命軍との内戦に入った。日本はこの内戦に思慮を欠いたまま武力介入した。

ハバロフスク占拠と日本軍撤兵

 ハバロフスクはこの内戦の期間中、日本軍によって占拠された。そして赤軍がこの地で勝利を収めたのは、ハバロフスクから45キロメートル西にあるヴォロシャイフカという村の小高い丘であった。1922年2月12日のことだ。
 このほど筆者はシベリアを訪問したのだが、その際、ハバロフスクの行政学院の学長にヴォロシャイフカへの案内をお願いした。アムール川沿いのハバロフスクからは中国との国境が近い。しかし1969年に中露間で流血を生んだウスリー川の中洲のダマンスキー島までは遠過ぎるので、ヴォロシャイフカを選んだ。学長は意外だったようだ。
 彼にすれば、ボルシェビキが勝利を収め、日本軍のハバロフスクからの撤兵に繋がった戦闘の地にさほどの意味があるとも思えないし、行っても確か何もないはずだ、という。しかし私は往復の2時間を要しても、確認したいことがあった。現在のロシア人の「内戦」に関する受け止め方についての手掛かりだ。何しろプーチンのロシア政府は革命100年の記念すべき今年を迎えるに当たって何らの意思表示もせず、もちろん祝賀行事などは計画されていない。しかし内戦に勝利した、そして血の犠牲も払ったと受け止めている人も多い今日のロシア人が、この地をどう位置づけているのか、が知りたかったのである。

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