キプロスの共存への道 聖火リレーの傲慢

執筆者:徳岡孝夫2008年6月号

 地中海に浮かぶキプロスの、ファマグスタという地名を御存じだろうか。首都ニコシアから東に五、六十キロの外港……などという講釈は必要ない。ファマグスタは、オセローがデズデモナを殺した町である。私はその町へ行き、誰ひとり殺さず、一晩ゆっくり寝て帰ってきた。 今はどうか知らないが、一九七〇年代のアラブ諸国は、一度でもイスラエルの土を踏んだ者を入国させなかった。イスラエルという国そのものが現に存在するのを認めず、「被占領下のパレスチナ」と呼んだ。アラブ全体が今日のハマスと同じ原理主義だった。 イスラエルに入った痕跡あるパスポートの所持者は、アラブの国への入国を許さない。空港から追い返した。 それを知っているイスラエルの入管は、外国人記者がパスポートを出すと「入国スタンプは省略しておきますか?」と訊いた。アラブの国へ取材に行ったとき困るでしょう、という配慮である。 私は「構いません。スタンプを押して下さい」と答えた。別にアラブ用の旅券を持っていたからだ。向こうに入国するときは、それを使う。記者たちは、みなそうしていた。 ただし、さすがにイスラエルからアラブに直行するエアラインはない。いったんローマかアテネに出なければならない。私は最も近いキプロスを択んだ。あるとき時刻表の都合で、キプロスで一泊しなければならなくなった。ニコシアなんぞでは面白くない。タクシーを停めて「ファマグスタへ」と言った。

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