現代にも尾を引く地金論争

執筆者:野口悠紀雄2017年7月13日
(C)AFP=時事

 

 ナポレオン戦争後のイギリスで、通貨を巡って国をあげた論争が起きた。それは、「地金(じきん)論争」と呼ばれる。

 地金主義者と呼ばれる人々は、物価高騰とポンド下落の原因は、金兌換が停止されてイングランド銀行券が過剰に発行されたことにあるとした。そして、銀行券の発行を減少させ、兌換を再開すべきだと主張した。この主張を最も熱心に行ったのが、経済学者のデイビッド・リカードだ(ただし当時は一介の評論家に過ぎなかった)。

 これに対して、銀行券が商業手形の割引によって発行される限り、過剰発行は起こり得ないという考えがあった。これは反地金主義と呼ばれた。

 第44回で述べたように、イングランド銀行は1821年5月に金兌換を再開したのだが、これは地金主義の影響力が強かったためだ。

 その後、1830年代から40年代にかけて、「ピール銀行法」(イングランド銀行の中央銀行としての地位を明確に定め、銀行券発行のルールを規定した法律)へとつながる、同様の論争が起きた。ここでは、通貨主義と銀行主義が対立した。前者は地金主義を、後者は反地金主義を受け継ぐ議論を展開した。

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