「情報」ということ(上)

執筆者:冨澤暉2017年7月15日
日露戦争時、ロシアの後方攪乱工作で成果を挙げた明石元二郎大佐(のち陸軍大将)。彼の活躍を『坂の上の雲』で描き出したのが、司馬遼太郎だった

 

 

「情報」と「兵站」は、第2次世界大戦において日本が敗れた2大要因だと言われている。無論、「情報」と「兵站」の不足を知りつつ強引に開戦した「作戦」や、その「作戦」部門に一方的な力を与えた「制度」と「人事」が悪かったという見方もあろうし、さらには、それらの統合を教えた筈の陸大・海大の「教育」こそ反省すべきだ、という考え方もある。それはさておき、先ずは帝国陸海軍の反省から現自衛隊の「情報」に関し気にかかる点を述べてみたい。

情報の勝利は作戦の勝利に計上されない

(1)日露戦争に関連しロシア後方攪乱工作を主導した明石元二郎大佐の情報(諜報)活動を、長岡外史参謀本部次長は「この活躍は陸軍10個師団に相当する」と評したというが、にもかかわらず日露戦争後の明石は陸軍で傍流扱いされていたらしい。後に、ある陸軍将校が「閣下が日露戦争中にやられた働きは、大変なものでございますね」というと、明石はニガイ顔をして「俺の功績が日露戦争の正史のどこに書いてあるか」といったという。

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