登竜門ポスト「内閣官房副長官」の重要性

執筆者:村上政俊2017年8月15日
官邸を支える3人の官房副長官。左から、新任の西村康稔氏(政務、衆院)、留任の野上浩太郎氏(政務、参院)と杉田和博氏(事務)(C)時事

 

 さしずめ現代の「助さん格さん」といったところか。総理大臣のぶら下がりでは、すぐ後ろに2人の内閣官房副長官(政務担当)が立つ姿がよく見られる。首相の側近中の側近という位置付けは、テレビの画面を通じて全国民が知るところだ。この「副長官」をキーワードに、今回の内閣改造や政権運営を読み解いてみたい。

霞が関を牛耳る「事務担当副長官」

 副長官は、衆議院から1人、参議院から1人の政務2人と、事務1人の計3人がいる。このうち従前から重要なポストと考えられていたのが、事務の副長官だ。官僚の中の官僚と言われ、各府省の事務次官が集まる次官連絡会議を主催。旧内務省系官庁の次官経験者が務めるのが通例だ。筆者が外務省に入省した直後にも、元副長官の古川貞二郎(旧厚生省、1960年入省)の講話を聴く機会が設けられた。官僚道を肌身で感じさせようという意図があっての研修だったのだろう。

 歴代の中でも、石原信雄(旧地方自治庁=旧自治省の前身、1952年入庁)は7内閣(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山)で7年4カ月、後任の古川は5内閣(村山、橋本、小渕、森、小泉)で8年7カ月という長きにわたり副長官を務めた。細川護煕を首班とする非自民連立政権が発足した際には、政治サイドにほとんど経験値がなかったことから、石原が組閣の基本的な手順から手ほどきしたという。短命内閣が続き、政治主導からは程遠かった頃の事務の副長官の重みがわかる。

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