「家族制度の弊害」から占う「中国」「香港」「シンガポール」の将来
2017年8月17日
猛暑の1日、中国における家族制度について考えてみた。中国とはいうものの、中華人民共和国のみを指すわけではない。中華人民共和国とその周辺の漢族系の人々によって構成された社会、強いて言うなら中華圏とでも呼ぶべき広い世界におけるそれである。
「賄賂を取る」は規則動詞
20世紀の中国を代表する英語の使い手として知られる作家・言語学者・文明批評家の林語堂(1895~1976年)は、1935年に『大地』の作者でノーベル文学賞受賞者のパール・バックの強い勧めを受け、ニューヨークで『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』(鋤柄治郎訳『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年/以下、鋤柄訳から引用)を出版した。毛沢東率いる共産党が国民党の猛追を躱し命からがら延安に逃げ込んだ年であり、2年後には盧溝橋事件が起っている。
林語堂は「たとえ共産主義政権が支配するような大激変が起ろうとも、社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしまうであろう。そうなることは間違ない」と指摘しているが、1970年代末に踏み切った改革・開放政策は人民共和国を「共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしま」った。であればこそ、「古い伝統」が秘める強靭性が改めて浮かびあがってくるように思う。
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