八尾市の由義神社。由義宮あとの伝承があったが、実際にはここから少し南側からみつかった (筆者撮影、以下同)

 

 大阪府八尾市の東弓削(ひがしゆげ)遺跡で、奈良時代の女帝・称徳(しょうとく、孝謙の重祚)天皇と怪僧・道鏡(どうきょう)ゆかりの由義宮(ゆげのみや)の一部がみつかった(八尾市文化財調査研究会)。

 称徳天皇は聖武天皇と光明子(光明皇后)の娘だ。独身女性が担ぎ上げられたのは、父・聖武天皇が敵対する藤原氏に引きずり下ろされたため。ただし、称徳女帝も藤原のいいなりにはならなかった。独裁権力を握った恵美押勝(えみのおしかつ、藤原仲麻呂のち改名)を追い落とし、「かねてより懇ろになっていた道鏡」を天皇に立てようと目論んだ。

 称徳女帝と道鏡の出逢いは天平宝字5年(761)11月、保良宮(ほらのみや、滋賀県大津市)でのこと。体調を崩した44歳の独身女帝を、道鏡が看病したのだ。

道鏡が左遷させられた下野薬師寺(栃木県下野市)

 神護景雲(じんごけいうん)3年(769)に、称徳天皇は寵愛する道鏡の地元に、離宮を建てた。これが由義宮である。「宇佐八幡宮神託事件」(宇佐八幡宮の神託で道鏡が天皇位を得ようとし、阻止された事件)の勃発した直後のことだ。けれども道鏡を皇位につけようとする女帝の目論見は頓挫し、神護景雲4年(770)に、女帝は崩御。道鏡は失脚し、下野国(栃木県)に左遷させられた。

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