人けのない浪江町の商店街(8月23日、筆者撮影。以下同)

 

 東日本大震災、東京電力福島第1原子力発電所事故から9月11日で6年半――。

 今年3月末に避難指示を解除された福島県浪江町では、1万8173人の登録住民数のうち、帰還者はわずか286人(7月末現在)。JR浪江駅は再開し、町役場の隣に仮設商業施設も開いたが、商店街で目に入るのは地震直後のまま壊れた建物や解体工事現場、更地、伸び放題の雑草……。家々は動物の侵入などで荒廃し、住民の復興への希望をそぐ。

 家屋を巡る調査で、そうした惨状に日々触れる地元の応急危険度判定士の1人に、隣の南相馬市で再起した企業経営者・八島貞之さん(49)がいる。避難中は「なみえ焼きそば」のイベントを企画し、住民を元気づけようと活動したが、古里の人々はばらばらに遠のいていくばかりだ。

荒らされたままの家々

「見てください、人の不幸につけ込んで」。家主の声が、シャッターを閉めた店内の暗がりに響いた。浪江町の商店街で創業75年の時計・宝飾の店。8月後半、八島さんを含む2人の応急危険度判定士に同行し、立ち会った70代の家主夫婦の案内で店舗の中に入ったときのことだ。「足を切らないようにね。ガラス片が散乱しているから」。懐中電灯で店内を照らすと、こう注意された意味がわかった。商品を陳列していた分厚いガラスケースがめちゃめちゃに割られていたのだ。100万円もする高級腕時計や真珠のネックレスなど、高価な品々ばかり奪われていたという。2011年3月11日の大地震の後、原発事故が起きて町内に避難勧告が出され、夫婦は同居の家族7人で福島県葛尾村、二本松市など5カ所を転々とし、知人のいる伊豆まで避難した。「その間にオートロックの入り口を壊され、泥棒に入られた」。

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