仏像を「革新」した天才仏師「運慶」の生涯
2017年10月15日
隆々と盛り上がる筋肉、翻る天衣(てんね)、1点を見つめる潤んだような瞳――。
平安から鎌倉に移行する動乱の時代、写実的で力強い仏像を生み出した「運慶」。
平家の焼き討ちで灰燼に帰した興福寺(奈良)や東大寺(同)の復興を手掛け、貴族のみならず、新たに台頭した東国武士の依頼を受けて、従来とはまったく異なる独自の作風を打ち立てた希代の天才仏師である。
その運慶の史上最大となる展覧会が、東京国立博物館で開催されている。
人々の心をとらえて離さない運慶仏の魅力について、東京国立博物館絵画・彫刻室主任研究員で、今展覧会のワーキンググループの1人として「運慶展」にかかわった皿井舞さんに聞いた。
肉体を「リアル」に
運慶(1150頃~1223年)は、数多い仏師のなかでも知名度では圧倒的です。誰でも一度は教科書の「鎌倉文化」で堂々たる体躯の東大寺南大門の金剛力士立像(仁王像)とともに、その名を目にしたことがあるはずです。しかも創造性が豊かで、ビジュアル的にも迫真性があり、人々の心をくすぐる。直前の平安時代は、起伏の少ないなだらかで穏やかなスタイルの仏像が主流だった中で、鎌倉という新たな時代を迎え、運慶はまったく異なる価値観を突きつけました。激動の世を生き抜いた1人の人間としても、魅力的な個性を確立していたのです。
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