クルド独立の夢はまたも遠のいた

執筆者:池内恵2017年10月18日
10月16日、イラク北部キルクークの中心部に入り、クルド旗を降ろすイラク軍兵士 (C)AFP=時事

 

 2017年10月16日は、クルドの歴史に残る日付となるのだろうか。この日にイラク政府部隊と政府を支持する民兵組織「民衆動員隊(PMU)」がキルクークに進軍を始めたことを速報で記しておいたが、翌日にかけて、事態は急速に進展した。

雲散霧消したペシュメルガ諸部隊

 9月25日の独立をめぐる住民投票が行われて以来、緊張が高まる中で、クルディスターン地域政府(KRG)傘下のメディアはキルクーク市民に徹底抗戦を呼びかけていた。しかしイラク政府部隊・民兵組織の侵攻を前にして、クルド人民兵組織ペシュメルガの諸部隊が、ほとんど戦わずして撤退したのである。イラク中央政府側は、短時間でキルクーク西北方面の郊外にあるK-1空軍基地や油田施設を支配下に収めた上で速やかに市内に戦車・装甲車の列を進めた。

 KRGとイラク中央政府との最大の対立点だったキルクークは、半日でイラク政府軍の支配下に入った。そのため、当面は、大規模な衝突は避けられている。

 キルクークだけでなく、KRGが近年に実効支配の面積を広げる中で獲得した領域の多くに一斉にイラク政府軍・政府系民兵組織が侵攻し、そこでもペシュメルガ諸部隊が撤退し、いずれも大規模な戦闘なく制圧した。KRGが近年に実効支配を広げた地域とは、2014年6月の「イスラーム国」のイラク北部での台頭とイラク政府軍の撤退によって生まれた権力の空白を、KRG傘下のペシュメルガ部隊が埋めて、支配下に収めた地域である。

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