飯舘村「帰還」の哀しみ(上)「までい」の民宿

執筆者:寺島英弥2017年10月22日
避難指示解除を記念し、飯舘村で催された「おかえりなさい式典」(筆者撮影、以下同)

 

 東京電力福島第1原子力発電所事故から6年過ぎた今年3月31日、政府から全住民の避難指示が出されていた福島県飯舘村などの被災地に、待ち望んでいた「避難指示解除」の報が届いた。待ちくたびれたと表現するのが正しいかもしれない。原発事故がなければ、誰もが全く違う人生を送っていた。その命を縮めることなく今を暮らしていた、と思える人々が筆者の身近にいる。「飯舘村の太陽」。そう呼びたいほどの笑顔と朗らかさで仮設住宅の同胞たちを支え、避難指示解除の5カ月後に息を引き取った佐野ハツノさん(享年70)もその1人。彼女はがんとの闘病に耐えながら「帰還」を待ち望み、古里の家で短い最後の日々を送った。

「ここにとどまりたい」

 冬と春の境の寒さと曇り空。今年3月31日朝、飯舘村の中心部の草野商店街に人影はなく、原発事故以来閉じたままのシャッターが連なる。しかし、昨年夏にできた木造の飯舘村交流センター「ふれ愛館」(旧中央公民館)には、突然のにぎわいが降ってきたように、多くの村民が避難先から戻ってきていた。政府による6年ぶりの避難指示解除を記念する「おかえりなさい式典」が催されたのだ。約300人の参加者を前に菅野典雄村長はこう語った。

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