1963年5月、モスクワで手を取り合うキューバのフィデル・カストロ首相(当時、左)とフルシチョフ・ソ連共産党第1書記。JFK暗殺とカストロとの関係は…… (C)AFP=時事

 

 ケネディ大統領暗殺事件に関する米政府文書を大統領権限で25年間のうちにすべて公開するという1992年の「JFK暗殺記録収集法」。

 10月26日に、同法施行からちょうど25年の期限を迎えた。その前日に、「長く期待されていたJFKファイルの公表は明日。非常に興味深い」とトランプ大統領が弾んだ調子でツイートしていたので、いやが上にも期待感が高まっていた。

 しかし当日になって、公開が想定された約3200件の文書のうち、公開されたのは2891件だけ。残り約300件は、半年後の来年4月26日までに、公開か非公開か見直す、という失望的な結果が明らかにされた。

 大統領があえて自らの権限を全面的に行使せず、公開を見送った理由は一体何だったのか。

カストロ暗殺計画との関連

 実は、この25年間にわたる情報公開で、事件の真相をめぐる論議は劇的に変化していた。暗殺事件にキューバが絡んだ新事実が次々と明らかにされていたのだ。その「変化」を日本に紹介したのは、2015年12月16日の拙論「連載インテリジェンス・ナウ 『ケネディ暗殺』と『カストロ暗殺計画』の点と線:CIA機密文書」くらいしかなかった。

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