日露戦争の戦費調達に高橋是清が奔走

執筆者:野口悠紀雄2017年11月30日
国立銀行が発行した、日本初の紙幣 (C)時事

 

 日露戦争は、1904(明治37)年2月8日に開戦し、1905(明治38)年9月5日に終わった。この戦費は、どのくらいだったか?

 アジア歴史資料センターの『日露戦争史』によると、約20億円。1905年度の日本の政府歳入が約4億円だったので、その5年分だ。

 資料によって数字には若干の差がある。富田俊基『国債の歴史』(東洋経済新報社)によれば、戦費は17.2億円で、1903年度税収の11.7倍だ。

 いずれにしても、当時の日本の国力に比べて非常に重い負担であったことは間違いない。

 これを賄うため、政府は所得税を増税し、タバコ、塩などを専売制にした。また、地租の大増税を行なった。

 しかし、それだけではとても十分ではない。日本には、とにかく金がないのだ。

 しかも、戦艦は国内で生産できず、外国に発注せざるをえない。砲弾の消費も、大阪砲兵工廠の製造能力をはるかに超えたので、外国から買わなければならなかった。戦費の3分の1は海外に流出したと言われる。

 だから、海外からの資金調達が、どうしても必要だった。富田によれば、結果的には、戦費の約4割、合計約7億円が外債で調達された。

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