“新任の総統”馬英九は、なぜ少数の強硬派を抑えきれなかったのか。尖閣問題は今後、馬政権を縛るとともに、日本にも難題に――。[台北発]二つの「釣魚台」をめぐり、東京、北京、台北の東アジア三極が絡み合い、火花を散らした。 六月中旬、かつて田中角栄らあまたの要人を迎え、現在は六カ国協議の舞台でもある北京外交の表玄関、釣魚台迎賓館で、中国の胡錦濤国家主席と、台湾の江丙坤・海峡交流基金会理事長(対中交流窓口トップ)が握手をかわし、中国と台湾の対話が九年ぶりに復活した。そのとき、はるか南方の東シナ海に浮かぶ尖閣諸島(台湾名=釣魚台、中国名=釣魚島)で、台湾の遊漁船が日本の海上保安庁の巡視船と衝突、沈没した事件で、台湾の反日行動が一気に燃え上がったのである。 釣魚台迎賓館の名称は約八百年前の皇帝が一帯の池でよく魚釣りをしたことに由来し、尖閣諸島と直接の結びつきはない。しかし、馬英九台湾総統が五月に就任して以来、一部で心配された「中台の接近と日台の緊張」というシナリオが同じ「釣魚台」を舞台にしてこれほど早く劇的な同時進行で現実化するとは、誰が想像しただろうか。 事件は六月十日の未明に起きた。尖閣諸島の日本領海で釣り客十三人と船長ら乗組員三人を乗せた台湾船「連合号」は海上保安庁の巡視船「こしき」と衝突、沈没した。最初は日本側発表で連合号の蛇行と急な方向転換が原因とされ、台湾側も静観していた。ところが実際は海保の強引な操船が衝突の主因とする見方が広がると、台湾では急激に反発が拡大。海保の謝罪、日本側の遺憾表明にも台湾側の怒りは収まらず、駐日代表の召還から強硬派の立法委員らによる「視察」を口実とする軍艦派遣の寸前まで突き進んだ。

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