山一の倒産劇から20年 「あのとき」と「それから」

 あれからもう20年、まだ20年。バブル崩壊でさまざまな事件が起きたが、山一證券の破綻はひとつの象徴だろう。羽振りのよかった業界のなかでも、とくに働きやすいと言われていた会社だ。あとから、隠し債務の大きさや「ニギリ」(顧客に利回りを確約する不正取引)の横行が明らかになったが、社員でもそれらを知らない人が多かった。大きな会社だから、自社の状態を正確に把握している人は一握り。仕方のないことかもしれないが、なにも知らずにいきなり職を失った人の多さに、やりきれなさを感じる。

講談社/1728円

 これは、かつての山一の社員(通称モトヤマ)約100人の、「あのとき」と「それから」の物語である。山一の破綻時、在籍していた社員は7500人ほどで、グループ企業を足すと約1万人。そのなかから、実名を出してインタビューに応じた人が100人。山一での役職や、突然の求職活動のてんまつ、転職先の仕事内容も明かしているし、家族のストーリーもいさぎよく語っている。

 じつは簿外債務がこんなにあるんだとこっそり知らされても、自分の会社はつぶれたりしないと思っていた人が大半である。それまでの日常から一転して怒涛のような非日常にほうり込まれ、会社での目標も、顧客との関係も、自分なりの人生設計も、すべて一瞬のうちに失う。大震災クラスの打撃だ。きょうあすを生きていくために、無我夢中でもがく。そんな日々は、20年という歳月を経てようやく落ち着いて振り返れるのかもしれない。当時幼かった子どもが独立したり、介護していた親を見送ったりという変化がある。いまになってようやく自分のことを考えられるようになった人も少なくないと思う。

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