【ブックハンティング】「西郷隆盛」という巨大な思想を読み解く
2018年1月15日
私は歴史学者でもないし、西郷隆盛の研究家でもない。強いて言えば、西郷隆盛のファンというのが当たっているのかもしれない。鹿児島に行けば必ず、墓参りをしているし、生まれ育った甲突川界隈を散策する。『西郷南洲翁遺訓』に現代語訳を添えて、どれだけたくさんの国会議員に配ったか。2年ほど前には「噫西郷どん」という歌を作詩した(作曲・山崎ハコ、歌・えひめ憲一)。だから追っかけに近いファンと言うべきか。
西郷について大概のことは知っているつもりだったが、驚いた。西郷と同時代の人物から現代の作家、思想家に至るまで、これほど多角的な西郷論を本書によって突きつけられると、圧倒されると同時に、ますます西郷とは何者なのかわからなくなる。著者の仕事量と冷静な筆遣いには感心させられるが、それよりも書評の質の悪さに気分を害されるのではないか、という心配が先に立つ。
実は凡庸な人間と同じ
今回取り上げた先崎彰容著『未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続けるのか』(新潮選書)では、西郷という人間が立体的に浮かび上がってくる。きっとそうではないかな、と感じていたことが、やっぱりと合点がいく。たとえば第3章「アジア――頭山満『大西郷遺訓講評』とテロリズム」では、西郷と同い年の重野安繹という薩摩出身の漢学者の言葉を紹介している。「人は豪傑肌であるけれども、度量が大きいとはいえない。いわば度量が偏狭である。度量が偏狭であるから、西南の役などが起るのである」。
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