先人の「卓見」に学ぶ「中国崩壊論」の正誤

執筆者:樋泉克夫2018年1月16日
マクロン仏大統領もわざわざ中国語を勉強して急接近しているというが……(C)EPA=時事

 

 昨年末頃から、「中国崩壊論」の崩壊という主張が聞こえるようになった。ここ数年、メディアを盛り上げ書店の店頭を賑わせてきた中国崩壊論ではあるが、中国崩壊の気配は一向に見えないではないか。昨秋の第19回共産党全国大会を経て2期目に入った習近平政権は一強体制を突き進み、一帯一路も中国崩壊論が予想するような破綻を見せてはいない。そればかりか、フランスの大統領すら中国語の学習をはじめたと報じられるほどに一帯一路関係国への影響力を強化しつつ、いわば「中華文明の偉大な復興」の道を歩んでいると見做すべきではないか、ということだろう。

 中国崩壊論が中国の抱える問題点を正しく抉っているのか。はたまた中国崩壊論は崩壊したとの指摘が中国の現状を捉えているのか。いずれも不明だが、双方の議論の背景に我が国における中国との向き合い方という積年の難題が潜んでいるように思える。

蹉跌を繰り返してきた日本

 明治維新を目前にした文久2(1862)年、江戸幕府は上海での交易の可能性を探るべく千歳丸を派遣する。乗組員が「日本人始メテ上海ニ遊来也」(峯潔『航海日録』)、あるいは「寛永以前ノ朱章船」の復活であり、「入唐シ玉フハ室町氏以来希有ノコト(名倉予何人『海外日録』)と書き残しているように、日本人が中国の地に足を印すのは数百年来のことであった。それほどまでに日本は生きた中国とは没交渉だったのだ。もちろん書物を通じたバーチャルな中国情報は伝わっていたわけだが。

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