改築された比曽の家で菅野さん、久子さん夫婦(中央)を囲んだ子どもたちと家族=2017年9月(菅野さん提供、以下同)

 

 2017年3月末、6年ぶりに避難指示が解除された福島県飯舘村。その中、標高約600メートルにある比曽地区は厳寒のさなかだ。全87戸のうち帰還は4戸。農業を営む菅野義人さん(65)は生業再生を期したが、国の対応はずさんだった。

除染後の農地の地力回復工事が同年秋まで延びて持ち主への引き渡しが遅れたうえ、汚染土のはぎ取り後に露出した無数の大石が残され、農業を知らぬ土木業者の粗雑な工事を自らやり直しするなど、解除後の1年は「無」だった。

 買い物や郵便投函が地元でできず、ネットの注文品も宅配されず、自力で除雪しなければ家族の介助ヘルパーも村外から来られない。だが菅野さんは、「開拓者」の苦闘を負わされながらも、「後継者が戻る日までに農地を回復することが私たちの使命」と、終わりの見えぬ冬に耐える。

学生たちに語る苦闘

 2017年11月13日、仙台市の東北大学川内キャンパス。菅野さんは、筆者が担当した新聞ジャーナリズム講座に招かれ、東京電力福島第1原子力発電所の事故以来の体験を学生たちに語った。

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