原発事故前、春の用水路の点検に集った比曽の人々。共同作業が暮らしを支えた(菅野さん提供、以下同)

 

 菅野義人さん(65)を再訪したのは昨2017年12月10日。仙台から常磐自動車道を南下し、相馬市経由で国道115号を走った。よく晴れた冬の朝だったが、峠を越えた飯舘村にはうっすらとした雪景色があり、標高の高い比曽に通じる山あいの道は真っ白だった。怖いほどの凍結路が延々と続き、通行車も沿道の人影もほとんどなく、スリップ事故を起こしても助けはない。同じ浜通りでも冬の寒さが違う。「毎年師走の初めは穏やかだが、今年は雪が早い。けさもマイナス5度くらいになった。冷え込めばマイナス10度以下だ」と菅野さん。「これから降雪がどうなるか」。

 原発事故前の飯舘村では、住民が積雪や凍結路に慣れ、村の除雪も「深さ15センチ」を基準に、委託業者が手早く作業をした。比曽の小盆地には県道と村道が南北に通り、雪の日は、スクールバスが走る前の早朝に、2つの土木業者が手分けをして除雪を済ませていた。

 しかし、避難指示解除後も村の小中学校は再開しておらず、比曽に子どものいる若い家族が帰還する見込みもない。

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