塩野七生さん (C)新潮社

 

私は2500年を生きた

――塩野さんが書いた文章がはじめて雑誌「中央公論」に掲載されたのが1968年。来年でデビュー50年ということになります。今日はこの間のことをいろいろとお聞かせいただければと思っています。私がはじめて塩野さんと仕事をしたのは28歳のとき、35年前ということになります。
塩野 聞き手があなたでなければ言葉を選ぶところですが、今日はちょっとしゃべりすぎちゃうかもね。それにしても35年ですか。ずいぶんうまいこと続いたわね。喧嘩もせずに。
――どうしてでしょうね。私も至らないことがずいぶんありましたが。
塩野 私が外国にいたからよ。あんまり会わなかったっていうだけ(笑)。喧嘩もせず、非常にいい距離感で仕事をしながら、この35年を過ごしてきたわけです。
――歴史エッセイ、つまり塩野さんの定義するところの「調べて、考えて、歴史を再構築する作品」としては最後と決めてお書きになりました。
塩野 そう。これでおしまい。作家生命の終わりってわけ(笑)。

22年間、愛撫してきた

――最後の歴史エッセイ、編集作業を終えていかがですか。
塩野 これまでも1作ごと、「やった!」という感じで書いてきましたけれど、今度も「終わった!」という、ただそれだけです。あんまり私、過去は振り返らないので。振り返るほどの過去でもないし……。
――長大なマラソンを走り続けてきたみたいなものですよ。
塩野 まあ、そうかもしれません。誰も走らない道を。
――最後の作品をアレクサンダーでいくということは、ずいぶん前から伺っていました。1番最後に1番若い男を書く、と。有言実行ですね。先に宣言してしまって、それに向けて自分を追い込んできたということですか。
塩野 そんな格好のいいものじゃないんです。そんな真面目に考えていたら50年も続かない。ただ書きたいなと、ずっとそう思っていたというだけ。イタリア語で「アカレツァーレ」っていうんです。「愛撫する」という意味。「書こうかな、書きたいな」という想いを愛撫し続けてきた。時にはコラムか何かでちょっと書いてみて、自分の気持ちを確かめたりして。そして、これ以上はもう待てないというところまで持っていくわけ。カエサルについて書こうかなと思っていたときなんて、カエサルの名前を耳にするだけで気分が昂ぶりました。そこまで行って、ようやく書ける。ずいぶん時間はかかりましたけれど、それでもきちんと書いたでしょう? 私、自分の人生はね、あんまりオーガナイズできないの。なんだか散らかった人生です。でも仕事はオーガナイズする。もう二十数年前のことだと思いますが、アレクサンダーを「書ける!」と思って、それからアカレツァーレ、愛撫してきた。愛撫はするけれども、ベッドインまではしていないという感じでね(笑)。
――ベッドインするまでに二十数年もかけたわけですね。
塩野 こんなこと言っちゃっていいのかしら、私。「波」の生真面目な読者には刺激的過ぎるかな。
――塩野さんらしい比喩です(笑)。
塩野 もともとアレクサンダーのことは、それほど好きではなかった。誰かの書いたものを読んで、なんだか優等生みたいなことばかり言うなという印象だった。しかしある時――『ローマ人の物語』の第4巻と第5巻でユリウス・カエサルを書き終えた直後の頃だと思いますが――大英博物館が企画したアレクサンダー展がローマに巡回してきて、それを昼下がりに見たんです。「イッソスの会戦」に代表される有名な戦闘を再現したミニチュアなんかを見ていて、「書ける!」と思った。「書きたい!」と。カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです。
――カエサルを書き終えた頃となると22年前ですね。
塩野 アレクサンダーという男は西洋史最大のスターの一人です。ヨーロッパ人であれば誰でも彼のことを知っている。それは彼が「永遠の青春」、その象徴だから。だけどおかしな話でね。『ローマ人の物語』だってはじめからローマの通史を書こうと思ってたんじゃないんです。ただカエサルが書きたかった。これは歴史家ブルクハルトの言葉ですけれど、歴史上にはなぜか過去がすべてその1人の人物の中に注ぎ込み、そのあとにやってくる時代のすべてがその1人の人間から流れ出すような、そういう人間がいるんです。
――カエサルがそうだったわけですね。
塩野 ソクラテスもそうかもしれない。イエス・キリストもそうです。卑近な例を挙げればエルヴィス・プレスリーもそう。黒人音楽やカントリー・ミュージック、ヒスパニックの音楽まで、何から何までもが彼に流れ込み、その後はすべて彼から始まる。ビートルズやローリング・ストーンズ――。だからカエサルを書こうと思ったら、彼の前の時代のローマを書かなければ話にならないと思ったし、彼のあとのローマも書かなきゃってことで、それであんな15巻もの長い作品になったんですね。アレクサンダーも同じことです。うちの息子には「ママ、アレクサンダーだけを書くって話だったんじゃないの?」って言われましたけれど。いろいろとお勉強をしてみると、この人はマケドニア王ではあるけれど、やっぱり「ギリシア人」だと。となれば、ギリシア人の歴史すべてを書かないといけない。
――それで全3巻になったわけですね。
塩野 1巻のはずが3巻に増えちゃった(笑)。

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