「カスペルスキー」と「KGB」の闇(承前)

執筆者:小泉悠2018年2月7日
自社ソフトのPRで2011年、来日したことも(CMキャラクターのAKB48・峯岸みなみと)(C)時事

 

 引き続きエフゲニー・カスペルスキーの足跡をたどってみることにしたい。

 1987年にKGB(国家保安委員会)大学校第4学部を卒業したカスペルスキー青年は、ソ連国防省に入省した。ただ、ここでのキャリアにもはっきりしない部分が多い。

 国防省の研究機関で研究職に就いたことはたしかなようだが、カスペルスキーは、それ以外の詳細は機密に触れるとして明かしていないためである。カスペルスキーの「公式伝記」と言える『カスペルスキーの信念:インターネットのボディガード』(ESKMO、2011年。邦訳なし)では、「物体が軌道上から地上に落ちていくコースの計算」が最初の任務だったとしているが、これが本当なのかどうかも分からない(弾道ミサイルの軌道計算であればさほど秘密めかすこともないだろう)。

 ただ、「住所がなく、郵便私書箱番号でしか呼ばれない街」で勤務していたという回想と考え合わせると、おそらくは宇宙・ミサイル関係の閉鎖都市に居たのではないか。

 現在のロシアにも民間人の立ち入りが厳しく制限される都市(閉鎖行政領域体:ZATOと呼ばれる)は存在するものの、ソ連時代にはこの制限がさらに厳しく、地名が明らかにされないとか、そもそも存在そのものが秘密にされているという都市が少なからず存在した。カスペルスキーが勤務していたのもこうした都市の1つだったのではないかと思われる。

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