「サミットの限界」を乗り越える技術革新を

執筆者:田中直毅2008年8月号

 二〇五〇年という半世紀近くも先の課題に政策を割り当てる決意を先進国首脳の誰ひとりとして示しえなかった、というのが洞爺湖サミットの結果であったと言ってよい。「温室効果ガス削減の長期目標の共有を支持する」という首脳宣言の採択に当たっても福田康夫首相は相当の努力を払わざるを得なかった。記者会見ではこのくだりは、「G8首脳は基本的に合意した(We saw eye to eye)」と英訳された。「目と目を合わせる」というこの表現は、見解が全く同じである、との意味内容である。英語への通訳者は、予めこの表現をとる、と決めていたのではないか。 広報担当者はこうした方向付けを「put a spin」と表現するようになっている。スピンとは糸を紡ぐことである。一本一本の繊維だけでは方向性を示せないが、紡ぐことを通じて展開の方向性を示すことができる。紡ぐことは作り出すことでもある。G8会合の議長として福田首相は紡ぎ出す以外になかったのだ。 温室効果ガスの排出量の増加への寄与度となれば、中国とインドの二国だけで半ば以上という二〇五〇年までの道筋を今や疑う専門家はいない。地球環境がテーマならば、世界の総人口の半分近くを占める中国とインドを除いては全く意味がない、という米国のブッシュ大統領の言い分は決して逃げとはいえないのだ。だからこそ福田首相は米国を歩み寄らせるために、ひたすら「紡ぐ」以外にはなかった。これは日本の、まして福田首相の非力を示すものではない。厳しい地球の現実なのだ。

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