政権の下方に深い亀裂が突然口を開けた

執筆者:野口悠紀雄2018年3月8日
(C)AFP=時事

 

 1920年にクリミア半島から白軍最後の部隊が撤退・亡命し、内戦が終結した。

 しかし 、本当の問題は、ボリシェビキの内部にあった。マーティン・メイリアは、『ソビエトの悲劇』(白須英子訳、草思社、1997年)の中で言う。

 内戦末期のボリシェビキ体制の最大の問題は、世界革命の失敗や辺境国再吸収の失敗ではなく、浮上しつつある内部危機だった。ソビエトロシアの砦の中で、党政権の下方に、深い亀裂が突然ぱっくりと口を開けた。農民と兵士と労働者が、同時に離脱し始めたのである。

 まず、白軍の脅威がなくなったロシア中央地域で、農民が反乱を起こし始めた。食糧独裁政策の撤回を求め、自分たちが作った組織を通じて問題を処理しようとした。農民蜂起の中で、1920年から1921年にかけて、エスエル(社会革命党)の農民アレクサンドル・アント―ノフが率いるタンボフの反乱が最も深刻なものだった。反乱農民は、最大時には5万人にまでなった。ウラジーミル・レーニンはミハイル・トハチェフスキーが率いる赤軍5万人を派遣し、毒ガスなどの残虐な方法を用いて、これを鎮圧した。

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