柳田が「建築美」と称賛した万寿山(C)EPA=時事

 

柳田謙十郎『北京』(『世界紀行文学全集』修道社 1971年)

 

 戦前は西田(幾多郎)哲学を信奉する哲学の徒として知られた存在だった柳田謙十郎(明治26~昭和58年)は、敗戦から5年、中華人民共和国建国から1年が過ぎた1950年には、マルクス主義唯物論者への転向を明らかにしている。4年後の1954年12月、『わが真実への旅 柳田謙十郎平和紀行』(青木書店)を発表し、そこに中国での体験を収めた。

「ミイ氏ハア氏」

 柳田の中国の旅は、1954年7月25日の北京市街巡りの「自由行動」からはじまる。

「北海公園をたずねる。水があり、森があり、美しい東洋風の建築があり、その中心には高いところに白塔がそびえ立っている。いかにも北京らしい情緒豊かなところである」。「紫禁城が黄に紫にいらかをならべているすがたはまさに天下の壮観である。ヨーロッパの都市美もわるくないが、この美しさは格別である」。そして「みんなで『いいなア、いいなア』の連発、何ともほかに形容のことばもない」と大感激の態だった。

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