『台湾のいもっ子』蔡徳本著集英社 1994年刊(現在は角川学芸出版刊の新版がある)「一九五四年十月二日土曜日の空は、青く澄みきって、日は燦々と輝き、南から吹いてくるそよ風」を心地よく感じながら、著者の分身である「いもっ子」の青年教師・蔡佑徳は自宅の裏庭のザボンの木の下で小学校のクラスメートと碁を打っていた。この秋の日こそ、彼にとって「一生涯忘れえぬ悪夢の始まりの一日」となる。だが、薩摩芋に似た地形の台湾に生まれ育ち、貧しさゆえに薩摩芋ばかり食べていたことから自らをいもっ子と呼び、蒋介石と共に大陸から渡ってきた外省人からもそう呼ばれ蔑まれてきた本省人にとっての「悪夢の始まり」は、じつは四五年八月十五日の日本敗戦だった。 半世紀に及んだ日本の植民地から抜け出し“祖国”の懐へ戻れると、「老いも若きも、農民も商人も公務員も日雇い労働者も家庭の主婦も幼い子供も、そしてやくざまで」を含む本省人の誰もが、日本敗戦を歓喜で迎え、祖国復帰の美酒に酔い痴れた。彼らにとっても祖国のことばであるはずの「国語(北京語)はまるっきり話せないので、漢字の傍らに片仮名で読みをつけて」国歌を唱い、「外へ散歩に出るときにも手製の国旗を忘れずに持って出たものだ」。本省人はうかつにも知らなかったのだろう。皮肉にも国家も国旗も、いもっ子を隷属視する国民党政権を讃えるものだったのだ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。