「天下三分」

執筆者:岡本隆司2018年6月9日
「乱世の姦雄」として三国の争いを勝ち抜きながら、天下統一は果たせなかった魏の曹操(155年~220年)

 

「天下」という世界秩序を体系化するため、儒家が利用したのは、爵位の階層秩序である。たとえば、秦漢以前から存在していた、有名な公・侯・伯・子・男の五等爵を用いて、その最上位に天子=皇帝、およびそれに次ぐ王を置いた。これは中国内ばかりでなく、実効支配の及ばない外の範囲にも通じたもので、なかんずく注目すべきなのは、新たに帰順した周辺諸国・諸集団の首長に与える「王」爵である。

冊封体制

 言語・習俗の異なるかれらを、いきなり「皇帝」が直接支配するわけにもいかない。「王」号は以前から、漢の皇帝の実効支配の外にあった君主を指した。そうした歴史的な含意と感覚を活用して、「皇帝」がその下位にある「王」に、周辺の君長を任命すれば、それだけで上下関係と階層秩序をたやすく表現できる。「王」こそ、周辺国の君主号としてふさわしい。

 現在の歴史学では一般に、こうした「外夷」の首長に対する「王」爵の授与を「冊封(さくほう)」と呼んでいる。冊封とは、皇帝が冊書をもって諸王・諸侯などを封じる、つまり辞令で任命する意である。

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