1945年10月に香港で行われた戦勝祝賀パレード(C)AFP=時事

 

宇野浩二『忘れ難き新中国』(『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 小説家の宇野浩二(明治24~昭和36年=1891~1961年)は、大正期から亡くなる直前まで名立たる文人と交友を持ち、一時期は文壇の大御所的な存在だったと思う。

 だが、この旅行記の冒頭部分を眼にして、この程度に貧弱で曖昧な知識しか持ち合わせていなかったのかと、呆れ返ってしまった。

 以下に抜粋する。

「昭和三十一年十一月七日の午前八時頃、私たち(久保田万太郎、青野季吉、私、その他、)は、香港の飛行場についた。(香港の飛行場とは、香港ではなく、九竜の飛行場である、といふことを、後で知つたのである。さて、)私たちは、飛行場から九竜の停車場まで行くバスの窓から町を眺めながら、新中国の町としては妙にケバケバしいのを、不思議に思つた。(ところが、これも、ずつと後に、この町は、新中国の内にありながら、イギリスの領分になつてゐる事を、知つて、「なるほど、さうであつたか」)と思つた」

 宇野は香港がイギリスの植民地であることを知らなかったばかりか、「ずつと後に、この町は、新中国の内にありながら、イギリスの領分になつてゐる事を、知つて、『なるほど、さうであつたか』」と記し、一層の無知蒙昧ぶりを曝け出す。

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