『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也著中公新書 1972年刊(現在は古書としてのみ入手可能) 開発や援助の分野で世界的に知られた日本人といえば大来佐武郎、緒方貞子の両名がまず挙がるだろうが、ここにいま一人、その業績と知見を忘れずにとどめておきたいと思う人物がいる。こんにちにいたるまで、日本人のなかではもっとも高いポストに就いてアフリカ開発に携わった人物のことである。 服部正也は一九一八年に三重県で生れた。父親の転勤でロンドンに七年、上海で三年を過ごしたのち、長崎県の大村中学から一高、東大法学部へ進んだ。卒業後は海軍に所属しラバウルで終戦を迎えている。語学力を買われオーストラリア軍との連絡将校、ラバウル戦犯裁判所で特別弁護人を務めたあと一九四七年に復員、日本銀行に入った。五〇年にはフルブライト留学生として渡米、ミネソタ大学大学院で学んだのち、パリに駐在。そして外国局渉外課長であった六五年、IMF(国際通貨基金)に請われてアフリカ中部の内陸国ルワンダ共和国へ中央銀行の外国人総裁として赴任する。 ルワンダ勤務の後はいったん日銀に戻って外事審議役を務め、七二年に世界銀行へ転出。経理局長を経て、日本人として初めて副総裁に就任した。九九年、八十一歳で亡くなっている。

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